塗壁(ぬりかべ)は、福岡県遠賀郡の海岸地方に伝わる妖怪[1]。 目次 [非表示] 1 概要 2 同種の妖怪 3 脚注 4 関連項目 先物取引 [編集] 概要 夜道を歩いていると、目の前が突然目に見えない壁となり、前へ進めなくなってしまうというもの。壁の横をすり抜けようとしても、左右にどこまでも壁が続いており、よけて進むこともできない。蹴飛ばしたり、上の方を払ったりしてもどうにもならないが、棒で下の方を払えば壁は消えるという[1][2]。 民俗学者・柳田國男が著書『妖怪談義』で「ヌリカベ」を記載して以来、塗壁の伝承が世間に知られ始めたものの、伝承が一部の地方に限定されていることから、かつては比較的無名な妖怪であったが、水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』を通じて一躍、名が知られることとなった[3]。インパクトある巨体と大らかな性格で活躍する同作の効果で人気も向上し、「好きな妖怪ランキング」では常に上位にランキングされている[4]。 水木は著書において、第二次世界大戦での従軍中に南方のラバウルで塗壁と同じものに遭遇した体験談を語っている。敵軍に襲われ、仲間とはぐれて深い森を1人で逃げ惑っている内に、コールタールを固めたようなものが前方に立ちふさがって行く手を阻まれ、右も左もその壁に囲まれて身動きできない。途方に暮れている内に、疲労から数十分休んでいると、この壁は消えたという[5][6]。 また霊能者・宗優子によると、テレビ番組のロケーションで富士樹海に入った際、ロケ隊の前に壁のようなものが立ちはだかったといい、樹海での自殺者たちがこれ以上進まぬようにと壁を作ったのではと語っている[7]。 大分県南海部郡(現・佐伯市)に伝わる民話によれば、塗壁は七曲りという坂道に小豆とぎと共に現れる怪物で、夜に歩いている最中に急に目の前が真っ暗になるものだという。正体は狸であり、人が着ている着物の後ろの結び目に狸が乗り、両手で人の目を塞いで視界を奪うので、帯を前に結ぶとこの怪異を避けられるといわれる[8]。 参考:『稲生武太夫一代記』より、『稲生物怪録』にある壁の怪異[9] 狩野洞琳画「ぬりかべ」塗壁の姿は、水木の妖怪画では目と足の付いた壁のように描かれているが、これはあくまで伝承をもとにした創作であり、古典の画図に姿を描いたものは近年まで発見されていなかった[10]。江戸時代の妖怪譚『稲生物怪録』に、家の壁に目と口が現れて人を睨むという怪異があり、これを塗壁の祖形とする仮説もあった[11]。しかし2007年8月、川崎市市民ミュージアムの学芸室長・湯本豪一の所有する妖怪画が、アメリカのブリガムヤング大学の図書館に寄贈されている妖怪画と一致し、後者に「ぬりかべ」と名があることから、これが塗壁を描いたものであることが判明した。同画は享和2年(1802年)に絵師・狩野洞琳由信が室町時代の絵などを参考に制作したもので、3つ目の獅子か犬のような姿の妖怪が描かれている[10]。 また1967年には民俗学者・丸山学により「カベヌリ」という妖怪の伝承が報告されている。丸山の報告内容には伝承地の記載がないが、大分県臼杵市で妖怪による町の振興を行う臼杵ミワリークラブの調査によれば、カベヌリは同市に伝承が残っているものであり、観光用に絵葉書まで売られているほど有名なものとされる。1968年の郷土史誌『臼杵史談』では、狸が陰嚢を一杯に広げて夜道を行く人の視界を塞ぐ怪異を大分県内各地で「狸のぬりかべ」、香々地町(現・豊後高田市)では「イタチのぬりかべ」、臼杵市では「ぬりかべ」ではなく「かべぬり」と呼び、その場に座り込むか、煙草に火をつけて一服するとこの怪異を避けられるという。また1978年の臼杵市教育委員会の民俗資料によれば、同様に狸や狐が陰嚢で人の視界を阻む怪異を「カベヌリ」としている。また臼杵ミワリークラブの調査によれば、大分県内にはカベヌリではなく塗壁の伝承も多いことから、妖怪研究家・山口敏太郎は、カベヌリは塗壁と似て非なる妖怪なのではなく、単に名前が変化して伝承したのみと述べている[12]。 投資信託 また山口敏太郎はあくまで自身の推理とした上で、塗壁の伝承は江戸時代中期の食料事情の変化と、塗壁の伝承地でかつて発明された油漆喰(撥水加工された壁)の発明に関係しているという説を唱えている。それによてば、人々の口にする米が玄米から白米となったことでビタミン不足が起き、ビタミンAの欠乏による夜盲症が目に見えない壁があるかのような感覚を、ビタミンB1の欠乏による脚気が足を前に進ませることのできないような感覚をもたらし、そうした行き止まりの怪異のような身体状態に、油漆喰が水を弾くイメージが加えられて「塗壁」という妖怪が誕生した、とされる[12]。 [編集] 同種の妖怪 塗坊(ぬりぼう) 壱岐島(長崎県壱岐市)。人が山道を歩いていると前方に立ち塞がる灰色の化け物。棒で叩くか、路傍の石などに腰をかけて一服しているとじきに消え去るという[2]。 道塞ぎ(みちふさぎ) 苗場山で1958年の夏の日の夕暮れに、ある老人が遭遇したという怪異。釣りの帰り道に突如、見たこともない大滝が現れて行く手を阻まれ、後方には見上げるような大岩が現れ、そのまま滝と岩が自分へ迫って来て身動きできなくなってしまったという。老人はその場で一夜を過ごす羽目になったが、夜が明けると共にこの怪異は消え去ったという[6]。 目目連(もくもくれん)は、鳥山石燕の画集『今昔百鬼拾遺』にある妖怪。 荒れ果てた家の障子に無数の目玉が浮かび上がった姿で描かれており、解説文によれば碁打ち師の念が碁盤に注がれ、さらに家全体に現れたものとある。作家・村上健司はこれを石燕の創作物と指摘している[1]。 山田野理夫の著書『東北怪談の旅』には「障子の目」と題し、江戸の商人が津軽へ材木を買いに行き、宿代がもったいないと言って空き家に泊まったところ、障子に無数の目が現れたが、商人は恐れるどころかこれらの目を集めて持ち帰り、眼科医に売り飛ばしたという話がある[2]。 木魚達磨(もくぎょだるま)は、鳥山石燕による『画図百器徒然袋』にある木魚の妖怪。 木魚が変化してだるま状になった姿として描かれており、解説文では木魚と同じ仏具の妖怪である払子守の同類とされる。 FX 木魚は本来、魚が昼夜問わず目を開けたままであることから、修行僧に対して不眠不休の修行を説くために作られたものである。また、だるまの顔の元となった達磨も、眠らずに9年間修行したと伝えられている。それらのことから、不眠をテーマとして木魚とだるまを合成して描かれた創作妖怪とされる。 輪入道(わにゅうどう)は、日本に伝わる妖怪。炎に包まれた牛車の車輪の中央に男の顔が付いた姿をしており、夜道を疾走する。 平安時代 、普段から町人達を虐げていた豪族の男が恨みを買い、牛車に乗車中に暗殺された。男の強い怨念が牛車の車輪に宿った結果、輪入道と成り果て、夜な夜な通行人を轢き殺すようになった、との伝承がある。[要出典] また、鳥山石燕の「今昔画図続百鬼」では、その姿を見た者の魂を抜いていくとされている。 同種の妖怪に片輪車(かたわぐるま)があるが、両者は本来同一のものだったとする説もある。 詳細は片輪車を参照 数々の映像作品に登場している、比較的有名な妖怪といえる。 日経225 [編集] 輪入道が登場する作品 ゲゲゲの鬼太郎:実写映画版では西田敏行が演じた。 詳細はゲゲゲの鬼太郎の登場人物#その他の妖怪を参照 少年陰陽師:作品内では「車之輔」と呼ばれている。 地獄少女: 詳細は地獄少女の登場人物#三藁(さんわら)を参照 大神:目、唇、耳、鼻などをモチーフとした妖怪として登場。 妖怪大戦争 (2005年の映画):フルCGで描かれ、顔は般若のように表されている。 化け草履(ばけぞうり)は、日本に伝わる付喪神の一種。 妖怪漫画家・水木しげるによる妖怪画では、大きな草履に手足が生え、鼻緒の付近に目玉が一つと、その下に口がある妖怪として描かれている[1]。九十九年使われた草履に魂が宿り、百年目に妖怪と化したとされる。仕事は主に捨てられた履き物に宿った霊の整理だが、履き物を粗末にする人間の家に懲らしめにくることもあるという。 民話研究家・佐々木喜善の著書『聴耳草紙』には、履き物を粗末にする者の家で、夜間に履き物が化け物となって「カラリン、コロリン、カンコロリン、まなぐ三つに歯二ん枚」と歌い出したという怪異がある[2]。水木しげるの著書においてはこれが化け草履の逸話とされるが[1]、原典の『聴耳草紙』では単に「履き物」とのみ述べられており、草履かどうかは定かではない。作家・村上健司はこれを民間の伝承ではなく、教訓のために作られた昔話とみている[2]。 [編集] 脚注 [ヘルプ] ^ a b 水木しげる 『妖鬼化 5 東北・九州編』 Softgarage、2004年、51頁。ISBN 4-861-33027-0。 ^ a b 村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、268-269頁。ISBN 4-620-31428-5。 外為