『新しい人よ眼ざめよ』(あたらしきひとよめざめよ)は、大江健三郎の短編連作集。文芸誌『群像』『新潮』『文藝春秋』『文學界』に掲載された七つの短編が集められ、1983年6月13日、短編連作集として講談社より発行。大佛次郎賞受賞作。 高速バス この短編連作集は「僕」を共通の語り手としている。この語り手の「僕」は、18・19世紀のイギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの作品を若い頃から丹念に読み続けている。 夜行バス この読みの営為を通して、「僕」は、逆に、自らの家族生活や人生を解釈し、さらには、人間存在のあり方そのものに何らかの定義を与えようと試みている。こうした意味において、この作品は「ブレイク連作」とも称されている。 高速バス ここに描かれている「僕」とブレイクとのきわめて個人的なレベルでの関係性は、作家大江健三郎の詩人ブレイクに対する態度と、かなりの部分、重なり合うものであるだろうが、『新しい人よ眼ざめよ』は、小説としてのその枠組みにおいて、日本の伝統的な私小説のひとつとして読まれることを拒むものでもある。 夜行バス この連作短編集の表題『新しい人よ眼ざめよ』は、ブレイクの後期預言書のひとつ『ミルトン』の序の一節「Rouse up, O, Young men of the New Age !」からインスピレーションを得ている。さらに、収録された各短編の表題もすべてブレイクの作品に由来するものである。 ダイビング [編集] 収録短編 初出掲載誌および表題が由来するブレイクの作品(引用文の日本語訳はすべて大江健三郎による) 北海道旅行 「無垢の歌、経験の歌」(『群像』1982年7月号)-------詩集『無垢と経験のうた (The Songs of Innocence and of Experience)』 「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって」(『新潮』1982年9月号)-------「怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって (The Cold Babe stands in the furious Air)」(『四人のゾアたち (The Four Zoas)』123ページ、6-7行目) 沖縄旅行 「落ちる、落ちる、叫びながら……」(『文藝春秋』1983年1月号)-------「落ちる、落ちる、無限空間を、叫び声をあげ、怒り、絶望しながら (Down Down thro the immense with outcry fury & despair)」(『四人のゾアたち (The Four Zoas)』135ページ、35行目) 沖縄旅行 「蚤の幽霊」(『新潮』1983年1月号)-------テンペラ画『蚤の幽霊 (The Ghost of a Flea)』 「魂が星のように降って、〔アシ〕骨のところへ.」(『群像』1983年3月号)-------「それからはじめに私は見た、天頂から落ちる星のように垂直にくだってくる、つばめのように、 北海道旅行 あるいはあまつばめのように素早く/そして私の足の〔アシ〕骨のところに降り、そこから入り込んだ/しかし私の左足からは黒雲がはねかえってヨーロッパを覆ったのだ (Then first I saw him in the Zenith as a falling star, 沖縄 レンタカー Descending perpendicular, swift as the swallow or swift;/ And on my left foot falling on the tarsus, enterd there; / But from my left foot a black cloud redounding spread over Europe.)」(『ミルトン』プレート15 [17]、47-50行) 「鎖につながれたる魂をして」(『文學界』1983年4月号) 沖縄旅行 レンタカー -------「粉碾き臼を廻している奴隷をして、野原に走りいでしめよ。/空を見上げしめ、輝かしい大気のなか笑い声をあげしめよ。/暗闇と嘆きのうちに閉じこめられ、三十年の疲れにみちた日々、/その顔には一瞬の微笑をも見ることのなかった、鎖につながれたる魂をして、立ちあがらしめよ、まなざしをあげしめよ。(Let the slave grinding at the mill, run out into the field;/ Let him look up into the heavens & laugh in the bright air; / Let the inchained soul shut up in darkness and in sighing, / Whose face has never seen a smile in thirty weary years; Rise and look out,)『アメリカ ひとつの預言 (America a Prophecy)』プレート6 、6-10行目) 札幌 ビジネスホテル 「新しい人よ眼ざめよ」(『新潮』1983年6月号)-------「眼ざめよ、おお、新時代の若者らよ! (Rouse up, O, Young men of the New Age !)」(『ミルトン』プレート1 ) 大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935年1月31日 - )は、日本の小説家。 石垣 ホテル 愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)出身。血液型はA型。東京大学文学部フランス文学科卒。大学在学中の1958年、「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。サルトルの実存主義の影響を受けた作家として登場し、戦後日本の閉塞感をグロテスクな性のイメージを用いて描き、石原慎太郎、開高健とともに第三の新人の後を受ける新世代の作家と目される。その後外国文学の読書経験から独特の詩的な文体を獲得し、核や国家主義などの人類的な問題と、故郷の四国の森や知的障害のある子供(長男の大江光)という自身の体験とを重ね合わせ独自の文学世界を作り上げた。1994年ノーベル文学賞受賞。 石垣島 宿泊 主な作品に『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『新しい人よ眼ざめよ』『懐かしい年への手紙』『人生の親戚』など。一時は1995年完結の『燃えあがる緑の木』を最後の小説にするとしていたが、1999年より執筆を再開。以降の『取り替え子(チェンジリング)』などの作品は自ら「後期の仕事(レイト・ワーク)」と位置づけている。 映画監督伊丹十三は義兄にあたる。 目次 [非表示] 1 来歴 1.1 生い立ちから作家デビューまで 1.2 芥川賞作家として 1.3 ノーベル賞受賞まで 1.4 後期の仕事(レイト・ワーク) 2 政治思想 2.1 評論家からの批判 3 沖縄戦裁判 4 エピソード 5 主な作品 5.1 小説 5.2 評論・随筆等 5.3 共著 5.4 共編著 5.5 その他 5.6 作品の映画化 5.7 テレビ番組 6 関連人物 7 関連項目 8 参考文献 9 大江健三郎(らしき人物)を演じた俳優 10 脚注 [編集] 来歴 [編集] 生い立ちから作家デビューまで 1935年1月31日、愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)に生まれる。両親、兄二人、姉二人、弟一人、妹一人の9人家族であった。大瀬村は森に囲まれた谷間の村で、のちの大江の文学世界の形成に大きく関わることになる。1941年、大瀬小学校入学、この年に太平洋戦争が始まり、5年生の夏まで続いた。1947年、大瀬中学校入学。この年新憲法が施行され、自身の思想を形作るうえで多大な影響を受けた。1950年、愛媛県立内子高等学校に入学するも、いじめをうけたため翌年愛媛県立松山東高等学校へ編入。このときのいじめの体験はのちに『芽むしり仔撃ち』で題材とされている。高校時代は石川淳、小林秀雄、渡辺一夫、花田清輝などを愛読。東高では文芸部に所属し部誌「掌上」を編集、自身の詩や評論を掲載した。東高在学中、同級生だった伊丹十三と親交を結ぶ。 1953年に上京、予備校に通ったのち翌1954年東京大学文学部文科二科に入学。学生演劇の脚本として「天の嘆き」「夏の休暇」を執筆、教養学部学友会機関紙に「火山」を掲載し銀杏並木賞受賞。このころパスカル、カミュ、フォークナー、ノーマン・メイラー、安部公房などを愛読、またサルトルに興味を持ち始める。1956年、フランス文学科にすすみ渡辺一夫に師事。このころよりサルトルを原書で読み始める。学生演劇の脚本「死人に口なし」を執筆、また戯曲「獣たちの声」(「奇妙な仕事」の原案)で創作戯曲コンクールに当選。同年10月、立川基地拡張反対のデモに参加する。 1957年、五月祭賞受賞作として小説「奇妙な仕事」が『東京大学新聞』に掲載、『毎日新聞』で平野謙の激賞を受ける。これを契機として同年『文学界』に「死者の奢り」を発表し、学生作家としてデビュー。 高速バス 格安 「他人の足」「石膏のマスク」「偽証の時」を次々に発表。「死者の奢り」は第38回芥川賞候補となり、川端康成や井上靖、舟橋聖一の推薦を受けるが、この回は開高健の『裸の王様』が受賞した。 高速バス 大阪 デビュー時よりサルトルの実存主義からの影響を強く受けた作家とされたが、この「死者の奢り」について江藤淳は、「実存主義を体よく表現した小説」というよりも、安岡章太郎や川端康成などの叙情家の系譜につらなる作品ではないかと分析している(新潮文庫『死者の奢り・飼育』解説)。 高速バス 京都 [編集] 芥川賞作家として デビューの翌1958年、長編小説『芽むしり仔うち』を発表。同年、「飼育」で第39回芥川賞を23歳で受賞。1956年の石原慎太郎に続き当時最年少での受賞となった。 高速バス 神戸 選考委員の川端康成は、「芥川龍之介と大江健三郎では時代も、才質も作風も違うが、23、4の学生が、異常な題材を小説に仕上げた点を芥川と似通ったものと解釈し、芥川龍之介の名前を冠した賞に加えたいと思った」とした。 高速バス 東京 一方舟橋聖一は前回の芥川賞の選考に異議を唱える立場から、「飼育」よりも「死者の奢り」にこそ賞を出したかったという選評を行っている。 高速バス 関西 1959年、東大卒業。卒業論文は「サルトルの小説におけるイメージについて」。同年書き下ろし長編『われらの時代』刊行。この作品から性的な主題を全面に押し出すようになる。またこの年に武満徹と知り合う。 夜行バス 格安 翌1960年、伊丹ゆかり(伊丹十三の妹)と結婚。1961年、浅沼稲次郎暗殺事件に触発され『セヴンティーン』とその第二部『政治少年死す』を発表。犯人の山口二矢をモデルとして描くが、この作品に対し右翼団体によって文藝春秋等に脅迫が行われた。 夜行バス 大阪 夜行バス 京都 このため『政治少年死す』は単行本に収められていないが、鹿砦社の『スキャンダル大戦争2』に、著者の許可なく収録されている。 夜行バス 神戸 1963年、長男の光誕生。頭蓋骨異常のため知的障害を持つ子供として生まれる。「障害を持つ子」の誕生は、戦後社会に希望を持てない青年を描いてきた作家にとって転機となった。 夜行バス 東京 1964年、『個人的な体験』で第11回新潮社文学賞受賞。知的障害をもって生まれた子供の死を願う父親が、想像力によって悲劇を乗り越えるに至るまでを描いた作品であり、「想像力」は以後大江作品のキーワードの一つとなる。 夜行バス 関西 同年、広島に何度も訪れた体験や世界原水爆禁止大会に参加した体験を元にルポルタージュ「ヒロシマ・ノート」の連載を開始。これ以降の大江は、障害を持つ子供という「個人的な体験」と、広島の被爆という「人類固有の悲劇」を自身の主題として深めていく。